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トルストイ
ロシアにはトルストイという有名作家が3人います。 アレクセイ・コンスタノビッチ・トルストイ(1817-1875) レフ・ニコライビッチ・トルストイ(1828-1910) アレクセイ・ニコライビッチ・トルストイ(1883-1945) ですが、通常日本で単にトルストイと呼ばれているのはこのうちの真ん中の レフ・トルストイです。 レフ・トルストイは日本では『イワンの馬鹿』『復活』『アンナ・カレーニ ナ』『戦争と平和』『クロイツェル・ソナタ』などの作品で知られています。 その作品は19世紀後半、革命前夜の複雑なロシアの世相を背景にした人間の 苦悩を描き、求道的な思想家・作家として国境を越えて多くの人々の共感を 得ました。 なお、コンスタンの息子のトルストイの方は「白銀公爵」「イワン雷帝の死」 などの作品があります。またもう一人のニコライの息子のトルストイの方は 「苦悩の中を行く」「イワン雷帝」などの作品があります。 さて、レフ・トルストイは伯爵家の息子として1828年8月28日(新暦では9月9 日)領地のヤースヤナ・ポリャーナで生まれました。1歳で母を9歳で父を 亡くしますが、貴族の子供らしくしっかりと家庭教師により初等中等教育を 受け、1844年カザフ大学の東洋語科に進学します。しかし他の学生とのつき あいになじめなかったのか中退。故郷に戻り、農業に従事することを考えま すが果たせません。悶々とした日々を送り、やがて1851年逃げるようにして コーカサスに行きます。 ここで彼は軍隊に入りますが、入ってみると軍隊生活になじめず辞表を出し ますが、折しもクリミア戦争が勃発。この辞表は認められず、前線に送られ ます。しかし彼はこの戦争の最中に小説を書き始め、1854年11月に帰国後そ れを発表、大きな評価を得て新進作家としての地位を確立しました。 1855年には故郷に戻り、1862年にはソフィア夫人と結婚。そして1863〜1869 年には大作『戦争と平和』、1873〜1877年には不倫を扱った赤裸々な問題作 『アンナ・カレーニナ』を発表して円熟を感じさせます。しかしその間も彼 の内部で若き日の苦悩は刻々と膨らみ続け爆発する時期を待っていたのでし ょうか。 1878〜1882年に発表された『懺悔』、は彼のそれまでの作品をも否定する、 苦悩に満ちた告白でした。その苦悩は1889年の『クロイツェル・ソナタ』で 頂点に達します。この時期のことを「転向」といい、これを境に彼の作品は 前期と後期に分かれます。 『イワンの馬鹿』も後期の作品(1885)ですが、これは苦悩の後にたどりつい た彼の思想としての「真の芸術は形式・表現が明瞭・簡素でなければならな い」という境地から出ているものです。民話に基づくものですが、その底に は無抵抗思想・共産思想が流れています。 ヒロインの名前「カチューシャ」が作品名以上に有名な『復活(Воскре сение)』は実話にもとづくものです。1887年トルストイは知人からこの 話を聞き、最初その知人にそれを書くように勧めますが、結局はトルストイ が書くことになりました。この作品は1889年から書き始められ完結は1899年。 10年の歳月をかけましたが、その間に何度も書き直しが行われ、6種類の原 稿と150ヶ所のバリエーションが発生しています。その間なんと主人公の青 年貴族の名前まで変更されてしまいました。 実話では、青年貴族がたまたま陪審員として出席した裁判の被告の女性がか つて自分が愛した女であったことに衝撃を受け、彼女の減刑のために尽力し て流刑地まで行くものの、結局その女性が病気で亡くなってしまったという ことでした。 これをトルストイはハッピーエンドに修正。二人は結婚するも危険思想人物 として当局から睨まれ、ロンドンに亡命して幸せな生活を送る、というもの にしました。しかしその後の度重なる改訂で現在知られている筋、すなわち 二人は愛を大事にする故に別れ、女性は他の受刑者と結婚する道を選ぶとい うストーリーになりました。なお『復活』のタイトルはこの物語の発端が復 活祭の一夜の出来事から始まっているからです。 この『復活』の後半には大量に聖書「マタイ伝」のキリストの言葉が引用さ れています。実は私は高校時代に、この作品を読むのに聖書を買いました。 作者の分身でもある主人公ドミトリイ・ネフリュートフはその言葉を読む中 で人があるべき心の姿というものを確立していきます。そして高校時代の私 も大きくその影響を受けたのでした。